Unione
心に残る言葉


「聖書をそばに置きましょう」

2013年3月
名誉教皇ベネディクト16世の言葉より
2013年2月28日をもって自らのご意志で教皇職を退位なさった第265代ベネティクト16世は、私たちに数多くのメッセージをくださいました。 2011年8月3日、教皇一般謁見でのメッセージの一部をご紹介いたします。
「・・・休暇中など、自由になる時間があるとき、私たちはよく何かの本を手に取り、読書します。 そこでお勧めしたいのは聖書です。聖書は千年の長きにわたって形成された多くの本から成る小さな図書館のようなものです。 新約聖書の方はよく知られていますが、旧約聖書の中には、家庭や結婚について崇高な意味を教示してくれる「トビト記」、 ヘブライ人の王妃が信徒と祈りによって自分の民を虐殺から救う「エステル記」、長いもので真の傑作ともいえるものには、 無実の罪の苦しみの大きな問題を取り扱っている「ヨブ記」があります。また「コレヘトの言葉」は驚くべき現代性をもって 人生やこの世の意義を問い、強い印象を与えます。
親愛なる友人の皆さん、いつも聖書を側に置きましょう。文化的に豊かになるだけでなく、霊的にも養われ、神についての知識 と、神との対話を育ててくれることでしょう。」;

「来なさい、そうすればわかる」

2011年10月
サレジオ会佐藤直樹神父様
サレジアニ・コオペラトーリ黙想会(6/17)の講話より
皆さん、今年のサレジオ家族のストレンナ(イタリア語で贈り物:年間目標のこと)はご存知ですね。「来なさい、そうすればわかる」です。これはヨハネ1章の39節に出てくる言葉です。

どんな場面かといいますと、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた翌日のことです。ヨハネが二人の弟子に、「あの人こそ神の小羊だ」と言いました。それを聞いた二人の弟子がイエスを追いかけて行き、そして「先生、どこに泊まっておられるのですか?」と聞きました。その時、イエスが答えた言葉がこれです。その後彼らは、イエスについて行ってその晩一緒に泊まったのです。

さあ、この夜、どんな情景が繰り広げられたのかは、福音書には書いてありませんが、私は次のように想像してみました。

二人の弟子は、人生の意味を探し求める人たちでした。きっとイエスと共に食卓を囲んで、大いに食べながら語り合ったことでしょう。自分たちはどう生きて行くのか、何をしなければならないのか、自分たちに与えられた使命は何なのか? そして別れ際にイエスは、きっとこうおっしゃったはずです。「どうかな?一緒にやってみないか?」

この言葉こそ、サレジオの精神、アシステンツァ(共に居る)の根源ともいえる言葉です。一緒に生きていこうよ! 具体的に一緒にやってみようよ! 一緒に責任を負って行こうよ! そういうことなのです。  

「ハヒフヘホ」で人間関係を円滑に

2004年4月
ウニオーネ総会のミサにおける坂梨神父様のお話より 
私たちの生活の中で、自分自身の決意や意欲を日々更新することこそ私たちの 「小さな復活」ということができます。復活したイエスは弟子たちの過去の裏 切りに対して、責めるより現在を受け入れるように言われます。
 私たちの人間関係でも人を責めるより互いに思いやりを示すことが大事なのです。

「ハ」: 腹を立てない(相互の信頼を保つためにも冷静に)
「ヒ」: 非難しない(自分の弱さを認め、相手の立場も考える)
「フ」: 不平不満を言わない(意識して不満は口に出さないように)
「ヘ」: 偏見に捉われない(決めつけではなく、日々変わる可能性を認める)
「ホ」: ほがらかに(常に明るく)  

信じる人の顔は輝く

2003年4月
ウニオーネ総会のミサにおける坂梨神父様のお話より 
信じるというのはすべての行いの出発点です。人が他人に与えることができる最高のものはその人に対する信頼です。 青少年の非行や、家庭の崩壊の原因は例外なく互いを信じあえないという気持ちから出発しています。

逆にたった一人でも信じてくれている人がある、と実感すれば必ず立ち直れるのです。 たとえ裏切られても、欠点が たくさんあっても、それでも信じていくところからお互いの「かかわり」が始まります。

神様は私たちの醜い心を知っておられるにもかかわらず、私たちを信じてくださっています。これは神様の慈しみに よるものです。私たちも他人の欠点ばかりを見ないで、先ずは最も身近な人を信じましょう。

神様を信じ、人を信じる人の顔は輝き、人間としての魅力を発揮します。 私たちが信頼によって幸せを築いていけるようお恵みを願いましょう。